2015.03.10

研究者コラム|内藤正明


 バイオミミックとは何か

滋賀県琵琶湖環境科学研究センター長、吉備国際大学・地域創成農学部教授、京都大学名誉教授
内藤正明

 

バイオミミックなる言葉を時々耳にするようになった。最近の話題としては、新幹線の先頭のデザインが“かわせみ”の嘴と類似していたとか、パンタグラフがフクロウの羽根を真似てデザインされたといったニュースが記憶に残っているが、面白いと思って聞いたがそれ以上の関心はなかった。その理由は、これが“生き物の特徴をうまく機械の設計に利用すること”程度に理解していたためである。技術者は利用できるものは何でも利用してまた儲けようとするのかと、どちらかと言えば批判的ですらあった。

ところが、先だって環境省主催による「持続可能な社会の実現に向けた自然模倣技術・システムの利用手法等に関するワークショップ」なる場で話題提供を依頼された。もちろん何ら特別の知識も関心もないので即座にお断りしたが、仲立ち人からの再度の要請に断り切れずに引き受けてしまった。そこで、全く知りませんでは話にならないので、とにかく付け焼刃で、本を2冊ほど買って読んでおこうとした。

一冊目は予想したような、動物や植物の隠れた才能をうまく人間の技術に取り入れて、改善し、新たな技術の芽を見つけようという目的で、これまでの色々な事例を集めた紹介本であった。確かに面白い話がたくさんあって感心したが、環境の視点から見て理念的な深みはないように感じたので、やはり深入りするだけの関心は湧かなかった。しかし、2冊目の“BIOMIMICRY―Innovation Inspired by Nature―by Janine M. Benyus)”を読んだときには大いに感銘を受けた。それを一言で表現すると、「生物から学ぶことはそれが持つ優れた機能をいかに人間の技術に取り入れて利用するかではなく、その驚異ともいえる仕組みを創り上げた地球生命系の大先輩に対する畏敬」を主張していることであった。

そのことをこの著者は、“自然から搾り取って役立てるというこれまでの姿勢から、自然を尊重して学ぶ時代に来た”と称して、産業革命からいよいよバイオミミック革命への移行が必要であると主張している。具体的には、“動物や植物に見習い、太陽光と単純な化合物を利用して完全に生分解するものを生産する”という技術のあり方を示している。このようなことは、すでに以前から言葉としては言われてきたが、それは目指すべき理想であって、今すぐにそうでなければならないということではない。それに向かって日々技術は進歩しているのだからそれでいいではないか、という理解であったと思う。

しかし、バイオミミックを提唱する立場は、「既に自然界はこのことをずっと以前からやってきているので、そのことを真似て本気でそのような技術やシステムを実現しよう」との決心を改めて促していると理解する。だが、さらに大事なことは、「それが出来ないなら、今の未熟な技術は捨て去る覚悟が必要だ」というのが、私の理解した真のバイオミミックの意味である。もしそうではなくて、ただ目指して努力をすればいいというなら、単に技術改善、開発の一つのパターンであり、それほど大げさに取り上げることはない。

「いまの技術を未熟として捨て去る」などは、正気の沙汰ではないとほとんどの技術者は思うだろう。しかし、いま人類が直面している危機の最大の原因は、これまでの資源多消費、したがって環境負荷多発生の技術に原因があることは否定できない。そして、いまやそれが限界に達して人類の持続的生存をも危機に曝していることが「持続可能社会」が求められる理由だとすれば、真のバイオミミック革命に邁進し、それが実現するまでは既存技術のかなりを凍結する覚悟が必要なのは、地球環境シミュレーションから明らかであると、少なくとも環境省は主張してきたのではなかったか。

『そのようなことが実際にできるのか』という県議会の質問に対して、滋賀の(前)嘉田知事は『できるかどうかの議論をしている段階は過ぎました。しなければならない段階です』と返答しました。同様の議論が国会でなされたときに、環境大臣が知事と同じ回答をされるなら、日本の環境行政は存在意義があるといえるのではないでしょうか。


mn内藤正明
 Masaaki Naito 
1939年大阪府生まれ。滋賀県琵琶湖環境科学研究センター長、吉備国際大学・地域創成農学部教授、京都大学名誉教授。自然共生型社会の実現に向けた研究と実践活動、および市民技術の形成に注力している。主な著書に『現代科学技術と地球環境学』(岩波書店、1998年)、『持続可能な社会システム』(岩波書店、1998年)他多数。

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