2012.09.28

研究者コラム|藤崎憲治


昆虫から学ぶ人間社会の在り方について

 

昆虫生態学者・京都大学大学院農学研究科教授

藤崎憲治

 

近年、バイオミミクリーという言葉をよく耳にするようになってきました。それは、「生物を規範とした技術革新」と定義されます。そして、生物の中でも見習うべきモデルとして、もっとも注目されているのが昆虫なのです。

 

昆虫は節足動物の仲間として約4億年前のシルル紀に出現して以来、深海を除く地球上の多様な環境に進出し、大いに繁栄してきました。地球が“虫の惑星”と呼ばれる所以です。それでは、なぜ彼らはかくも繁栄することができたのでしょうか。さまざまな理由が考えられるのですが、それは多様化、分散化、小型化という昆虫の持つ基本的特性にあるように思われます。

 

まず、多様化ですが、昆虫の最大の特徴は全動物種の3/4を占めるという圧倒的な種多様性にあります。その上、それらの生活様式や生態系の中での役割もきわめて多様です。このことは昆虫たちが地球上の多様な環境をあたかも“鋳型”のようにして、それに自らを合わせ、適応してきた結果であると考えられます。環境に対抗するのではなく、素直に環境の在りように従ってきたことによるのです。種が多様でその生活様式も多様であれば、大きな環境変動があっても、変動後の環境で生き延びる種が必ず存在するのです。人間社会の場合でも、食料生産やエネルギー生産、そして居住環境において、その多様性が高ければ、環境変動による壊滅的な打撃を受けにくくなるはずです。

 

次に、分散化という特性を考えてみましょう。昆虫の体は頭部・胸部・腹部の機能の異なる3つの部分に大きく分かれているのですが、それぞれに神経節と呼ばれる小さな脳があります。したがって、それは分散脳と呼ばれています。これら3つの神経節はそれぞれ担当する部分が決まっていて、例えば胸部神経節は胸部にある肢や翅の運動を制御しているのです。その結果、頭部にある脳からの指令を待たずに、きわめてすばやく外界の刺激に反応して、敏捷に行動することができるのです。人間の場合は体のすべての器官を巨大な脳が一元的にコントロールしようとしますで、昆虫ほど敏捷には外界の刺激に反応することができません。

 

東日本大震災のときに、政府の指令がもたつき、地方の行政が迅速な対策が打てなかったことが多かったのも、同様な理屈によります。地球上の生物で最初に翅を発明した昆虫は移動分散性に優れ、そのためさまざまな環境に進出することができました。また生息環境が悪化すると他の好適な生息場所に移住する術も発達させています。このように昆虫は、分散ということを、体のシステムや生活様式に採用しているのです。首都の一極集中化などわが国がやってきたことは、天変地異の際にはとてつもなく危ういことなのです。

 

第3に、小型化という特性を考えてみましょう。小型であることも昆虫の重要な特徴であることは皆さんご存知でしょう。それは、外骨格や開放血管系という、脊椎動物とは異なる進化上の道筋を歩んだことによる制約のためですが、一方においてそのことはさまざまな利点ももたらしました。まず体を形成し維持するのに要するエネルギーや資源が少なくて済むことで、資源の浪費が少なくなることです。次に、体が小さければ微細な環境の中に入り込み、そこを生息場所として使うことができるでしょう。小型化することで環境の利用価値を高めることができるのです。そして、もう1つ、体が小さいことは、発育時間を短くすることにより、世代時間の短縮化をもたらします。このことは、世代時間の長い大型の動物に比べて、進化速度を速め、それだけ環境変動に迅速に反応することを可能にしました。逆に、人間は自らのバイオマスの大きさをはるかに超えて、欲望の赴くままに必要以上にさまざまな資源を浪費してきたばかりではなく、巨大化とスピードを志向してきました。大きな建物を作り、大きくて速い乗り物に憧れ、そして都市を巨大化させてきました。それが文明の基本的なベクトルでした。それは、ひたすら効率を追求してきた結果でした。しかし、天災や事故、そしてテロや戦争によってそれらがひとたび破壊されると、とてつもない災害が引き起こされ、多くの人命が失われてきました。著名な物理学者であった寺田寅彦は、あるエッセイの中で「文明が進めば進むほど天然の猛威による災害が、その激烈の度を増す」と書いています。文明の発達による、大型化、一様化、そして集中化こそがその原因なのです。

 

このように見てくると、昆虫が持っている多様性、分散性、小さな体サイズという特性は、人間社会が文明化とともに目指してきたこととは正反対であるように思えます。そうだからこそ、将来における人間社会のあるべき姿を考えるとき、昆虫の生活様式は大きなヒントになるものと思われます。それは津波に襲われた東日本の被災地における街づくりのプランを考える際にも、大いに役立つものと思われます。「小さくとも、安全で心豊かな社会」が実現されれば、それこそが今後の日本の社会のモデルになるのではないでしょうか。

 

私たちは、自然の中で気の遠くなるような年月を存続してきた、昆虫をはじめとする生物たちの生きる術から学ぶことはとても多いはずです。“バイオミミクリー革命”は、単に生物のデザインや機能をモデルとして新たな工業技術や医療技術の革新を図るということだけではありません。自然生態系における生物の生き方から人間社会の在り方を学びとることにこそ、その本質があるものと思われます。




藤崎憲治
 Kenji Fujisaki
1978年京都大学大学院農学研究科博士課程単位取得退学、1979年農学博士、沖縄県農業試験場主任研究員、岡山大学農学部教授を経て、京都大学大学院農学研究科教授(2012年3月迄)。専門は昆虫生態学・応用昆虫学。2004年から2009年まで、21世紀COEプログラム「昆虫科学が拓く未来型食料環境学の創生」の拠点リーダーとして「昆虫から学ぶ科学」の立ち上げに力を注いだ。個体群生態学会会長、日本応用動物昆虫学会会長を歴任。現在は、日本学術会議連携会員として、また日本昆虫科学連合代表として、昆虫学や応用昆虫学の発展と普及に努めている。主な著書に、『応用昆虫学の基礎』(共著、朝倉書店)、『カメムシはなぜ群れる? 集合離散の生態学』(京都大学学術出版会)、『昆虫における飛翔性の進化と退化 飛ぶ昆虫と飛ばない昆虫の謎』(編著、東海大学出版会)、『群れろ! 昆虫に学ぶ集団の知恵』(共著、エヌ・ティー・エス)、『昆虫科学が拓く未来』(編著、京都大学学術出版会)、『昆虫未来学 「四億年の知恵」に学ぶ』(新潮選書)など。

出典:近江八幡 草の根まんだら 第4号(近江八幡商工会議所, 2012)

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