2012.09.28

研究者コラム|本川達雄


物理学から生物学へ

 

東京工業大学教授

本川達雄

ネズミはゾウに比べて時間が早い。動物においては、時間の速度がエネルギー消費量(体重当たり)に比例し、小さい動物は、よりエネルギーを使うからである。ネズミの心臓は早く打ち、早く大人になり、早く死ぬ。エネルギーを使えば使うほど、動物の時間は早く進む。

この関係を知って、おや?と思った。これは現代社会にも当てはまるのではないか。

身の回りには便利な機械があふれている。便利とは早くできること。機械はもちろんエネルギーを使うから、エネルギーを使って時間を早めるのが機械である。車しかり。コンピュータしかり。

生活時間の速度(生活のペース)が早くなっているのは間違いない。ところが心臓の拍動時間は昔と変わっていないから、結局、体の時間はそのままで、生活時間だけがどんどん早くなっているわけだ。これほど便利な世の中になった割には、「幸せ度」が上がっているようにも感じられないが、それは、時間に追われ、こんなに早くては、ついていけないなあと、体が悲鳴をあげているからではないか。

生活のペースとは、その中で人が生きていくもの。だから環境の一種とみなせる。環境は安定してこそ安心して暮らしていけるが、近年、インターネットや携帯電話により、生活のペースが急激に早まっている。これは時間環境の破壊だと言えるのではないか。

生活のペースをこんなにも早くするために、大量のエネルギーを使う。そしてそれが地球温暖化や原発問題を引き起こしているのである。生活の時間を、より体の時間に見合ったものにすれば、時間のみならず他の問題も解決されるのだから、時間環境問題はきわめて重要なのだが、今まで指摘されてはこなかった。時間とは時計で計るもので、万物共通、時間の速さなど何をやっても変わらないと皆が考えていたからである。これは古典物理学にもとづいた考え方で、古典物理学は時間を含め、現代人の自然観を強く支配している。私はこのへんで、物理的見方を卒業し、われわれヒトという生物の時間を大切にする生物学的見方に転換すべきだと主張したい。

物理学から生物学へ! これは時間だけではない。物理学では全ての物を数値化し、一本の物差しの上に乗せて考える。実在の物はそれぞれ質的に異なるのだが、それを、質的に同じで量だけが違うとみなして処理するのが物理学のやり方なのである。

この方法は生活の中に広く浸透しており、その代表がお金。お金とは、本来質の異なるものを、質は同じで、違いは量(価格)だけだとみなす。するとお金を媒介として物が交換可能になる。

物理学的発想をすれば、全ての物は量の多寡という共通の物差しで比較できる。そうなれば、量の多い方が良いと、どうしても思いがちだ。その帰結が「量の多いことが豊か」という現今の価値観である。ところが、これ以上地球の資源を食いつぶして量を増やすことなどできない事態になってきた。

生物は多様である。個々の生物は質が異なり、独自の世界をもっている。時間さえもが異なる。質が違うとは、かけがえがないということ。個々の生物も、それが住んでいる環境もかけがえがない。金を出せば代わりを買えるものではない。そして、そのような質の違い、かけがえのなさを大切にするのが生物学なのである。

量の多さが豊かさであるならば、これからは量を減らさないと地球がもたない。つまりより貧しくならざるを得ない。それでも豊かだと感じて生きていくためには、豊かさの定義を変えればよい。たとえ量がそれほどでなくても、いろいろと違ったものがあることが豊かなことだとすれば良いのである。量から質へ、物理学から生物学へ、これがこれからの取るべき道だと私は思っている。  


本川達雄
 Tatsuo Motokawa
1948年宮城県生まれ。ウニやナマコの生物学者。東京工業大学生命理工学研究科教授。 著書に『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)『生物学的文明論』(新潮新書)他、多数。
出典:近江八幡 草の根まんだら 第4号(近江八幡商工会議所, 2011)

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